この一瞬を楽しもうよ

いま感じたことをおぼえておきたい

きらきらひかる

 

推しの誕生日や、中野の日という一つのターニングポイントと言える記念日がある8月は、毎年どこか特別だった。

推しと過ごす最後の8月が終わり、その時感じたことを言葉にしようと考えているうちにいつの間にか夏が終わってしまった。

 

最近でこそようやく思っていることを言葉にして伝えてくれるようになったけれど、昔の推しは今よりもずっとずっと言葉足らずで、伝え方ももっと曖昧で、何を考えているのか・どう感じているのかを中々見せてくれなかった。

そんな推しが一年で最も胸の内を明かしてくれるのが聖誕祭の日で。その場で語られた想いを受け取って、自分なりに咀嚼して、その上で感じたことを本人に伝えて。そういったことを毎年積み重ねていって今があるし、その軌跡がこのブログだったりする。

初めのうちは《そんなことを思っていたなんて》と新鮮に驚いていたことが多かったのに、気がつけばいつの間にか《やっぱりこういうことだよね》と答え合わせをするような感覚になっていっていた。それだけ普段から考えていることを話してくれるようになったんだなと思う。

昔の自分のブログだったりツイートだったりを見返していると、推しはどう思っているんだろうかとか、こういうことを伝えてしまったら推しにどう思われるんだろうかとか、ずっと不安がっているなというのがとにかく目についた。特に、兼業から専業へと舵を切ってからしばらくは、そもそもこの選択をしたことを後悔させていないか、今を幸せだと思ってくれているか、といったことがずっと気がかりになっていた。過去の記事にも取り上げているが、推しが「今が幸せだ」と言い切ってくれるまでは、ずっとどこかで罪悪感を抱えながら推していた。

それが今では、推しが考えていることも、考えていそうだなということも、言葉として伝えたいことは勿論、言葉以外のかたちで伝えたいとしていることも、きっと、ある程度は理解できるようになったからこそ、推しが話す言葉を素直に受け取ることができるし、私自身も「今が幸せだ」と自信を持って言えるのかもしれないな、と思う。

 

最後の聖誕祭は、それこそ私が今まで推しを見て受け取ってきたことが間違ってなかったんだ、と再確認ができる時間だった。推し自身も「今まで話したこととどうしても似てきてしまう」といったようなニュアンスで話していたが、今まで打ち明けていなかったことを初めて伝える場ではなく、今まで推しが活動の中で伝えようとしていたことを、《言葉》として分かりやすく伝え直してくれた場だったなと感じる。

一つ意外だったのは、未来に対する前向きさと、現在を過去にする寂しさのバランスが五分五分だったことだった。決断したら迷い無く、という人だと思っていたので、案外こちら側が思っているよりも別れを惜しく思ってくれているんだなぁとあたたかい気持ちになった。【アイネクライネ~Over you】のパートでは別れを受け容れているように見せておきながら、その直後の【あの夢をなぞって~花~Flower Wind】のパートではこれから先も一緒に居たいと訴えかけてくる。そのちぐはぐさこそが、推しの言う「どちらも本音の表裏一体」ということなんだろうと納得させられたセトリだった。

推しが「アイドルでありたい」と思ってくれるようになってから定期的に歌ってくれる【ニバンセンジ】や、初めてのソロ曲である【Neptune】、言うまでもなくセンター曲である【烏合之衆】などのお馴染みの曲たちは勿論、推しのパフォーマンスに対する意識が一段階成長したなという時期に披露された快作【アイネクライネ】や、武道館公演決定や卒業発表などが重なった時期に推しが一際特別に扱っていた【あの夢をなぞって】、annualで演った曲の中でも特に歌詞の印象が強かった【花】など、昔からごく最近までの「フォーゲル」の色んな節目を象徴するような曲が詰め込まれたセトリは、まさに集大成と言えるものだったんじゃないかと思う。

披露してくれた演目も、話してくれた内容も、どちらの面からも今までの歴史を感じられて、あぁこうやって共に歩んできたんだな、という気持ちになった。

後日上がった推しのブログの文中でも「激重感情」という風に表現してくれていたけど、隅から隅まで推しからの愛情を感じられるあたたかな一日だったなと思う。最後の聖誕祭を、寂しさとかそういう暗い気持ちで終えずに、身体いっぱいに愛情と幸福感を受け止めて終われたことが、本当に本当に幸せだと思う。

 

 

ここ一年間、とりわけここ数ヵ月間は特に、推しがいかに多くの人から愛されているのかということを思い知る期間となった。

卒業発表前から特典券の売れ行きという面では所謂「人気メン」だったけれども、卒業発表を通じて、他推しのオタクからも「最後にどうしても直接感謝を伝えたい」と言ってもらう機会が多くて、いかに推しの人柄が優れているかを痛感する。

推しも恐らくそういった声をきちんとした形で受け取りたくてMFというイレギュラーな場を設けてくれたりしたんだろう。そこまでしてもらっても、最後の時が近づいてくるにつれて推しと話せる機会はどんどんどんどん貴重なものになっていっていて。私自身も推しと少しでも多く話せる機会が欲しいと思っていながらも、推しが限られた一部からだけではなく一人でも多くの人から直接愛を受け取ってほしいと思う気持ちも本物で、イープラスから届く「落選」の文字に対して毎回どうにか折り合いをつけながら過ごしている。

その1枚がすごく貴重だからこそ、緑推しとか他推しとか、応援している期間が長いとか短いとか、推しに対しての気持ちが重いとか軽いとかそういうのが全く関係なく、皆が等しく同じ"1枠"でしかないんだなと思って辛くなることも少なくない。

ただ、それでもやっぱり、推しがそれだけ沢山の人に愛されているということはとても誇らしく思える。

それに、緑推しとか他推しとか、そういう安易なラベリングをせずに、皆んなに対して等しく優しくできる推しだから私は推しのことをずっと好きで居るんだと思うし、推しがそういう人柄だからこそ、私みたいなオタクにも優しくしてくれているんだろうということも自覚している。

推しが卒業するまであと100日を切って、これからますます推しと話せる機会は貴重なものになってしまうのだろうけど、今まで積み重ねてきたものは変わらないと思っているし、推しが「緑推し」に対して特別な愛情を向けてくれていることも伝わっているから、皆んなが大好きな「フォーゲル」をずっと推し続けてこられたことを誇りに、残りの時間を大切に過ごしていきたいなと思う。

 

 

そんなことを考えていたところで、念願だったソロ曲についての発表があった。

流石にソロ曲を出さないまま卒業するなんてことはしないだろうと思っていたので、北海道公演でお知らせがあります、と聞いた時に、新曲及びソロ曲の発表だろうなと半ば確信を持ってモニターを見つめていた。

驚いたのはその後。作詞作曲者の名前。

推しが昔から好きだと言っていたバンドの方の名前を見て、素直に「良かったね」という言葉が漏れた。

 

過去の記事の中でも、推しに対するあれこれを《不遇だな》と表したことがある。あまりこういう言葉を口にするべきではないことは自覚しているが、推しの努力の分量に対して、あまりにも報われていなさすぎる、と思ってしまっていたのだ。推しの人柄の良さに甘えて蔑ろにし過ぎてはいないかと思ったことも、正直少なくない。

だからこそ、こうやって、推し自身が「アイドルとして頑張ってきて良かったな」と思ってもらえるような機会を与えてもらえたことが凄く嬉しかった。会社員のままの人生では得られないような経験を、アイドルとして生きたことによって手に入れられたという事実があることに、とても大きな価値があると感じた。

 

ずっと、心のどこかで不安を感じていたんだな、と気付いた。推しは、アイドルになりたくてアイドルをしている人ではなかったから。

活動を続けていくうちに、一緒に過ごしてきたメンバーに影響されてだったり、オタクからの期待に応える気持ちからだったり、どちらかと言えば後天的にアイドルに成った人だと思っているので、「アイドル活動の中で得た幸せ」が本当に本人にとって幸せなものなのか?というところに自信が無かった。勿論今まで伝えてくれたポジティブな感情に嘘は無いと思っているけれど。

そんな中でも、今回の件は言ってしまえば「"フォーゲル"の中の人」にとって間違いなく喜ばしい出来事だと自信を持って判断できるから、今まで頑張ってきて良かったね、報われたね、という気持ちでいっぱいになった。

どういう経緯でこのオファーに行き着いたかについては推測が及ばないけれど、推しが直向きに努力を重ねてグループを支えてくれていたことに対するご褒美のようなもの、と言うと聞こえが悪いかもしれないが、皆んなが皆んな彼に対して《報われてほしい》と思う気持ちがあったから実現したものなんじゃないだろうかとぼんやり思った。

大好きなバンドの方に楽曲提供してもらう、なんてオタクからは絶対に提供できない幸せを推しに与えてくれて、本当に有り難いなと思う。

 

それと、これは私の個人的な意見ではあるが、推しがソロ曲を貰うタイミングが今で良かったな、と思っている。(あと一年ぐらい早くても良かったのではと思っている気持ちもあるけれど)

ソロの順番が中々回ってこなくてやきもきし続けていたけれど、武道館公演を達成したりとここまでグループを大きくした実績があるからこそ今回のオファーを受けてもらえたというのもあるかもしれないし、何より、一生に二度三度とないソロ曲が、推しが技術的にも精神的にも成熟してきちんと「自分の曲」に対して向き合ってくれるようになるタイミングを待って用意されたことが嬉しいなと素直に思う。

センター曲である【烏合之衆】を通じて、推しの中の考え方とか想いの表現の仕方とかそういうものが変わったなと感じた。今までよりも丁寧に、責任感をもって楽曲に対して向き合ってくれるようになった今の推しが創るソロ曲が聴けるということが、とても幸せだ。

今まで散々、歌詞の中に自分の想いを忍ばせて遠回しに愛情を伝えてきたような人が創る曲がどんなものになっているのか、楽しみで仕方がない。

自ら別れを選択しておいて【forget me not】ーー《私を忘れないで》なんて、やっぱり表裏一体じゃないか、と思ってしまった。

 

推しにとっても、オタクにとっても、宝物のような曲になれば良いな、なんて思っている。

 

 

12月8日、卒業の日までの恐らく全てのイベントの日程も同時に発表されて、いよいよだな、と覚悟を決め直した。

あと何日、あと何度。これが最後かも、このままだともう。そういったことを考えてしまうことがどうしても増えてしまうようになった。

大切に過ごさないと、と思っていても、どうしてもいつも通りになってしまうことに後から少し悔やんでしまうこともあるけれど、それでも、今まで通りが一番自分らしいなと認めて、その時々の自分の気持ちに素直に行動しようと決めている。気が向かなきゃやらないし、欲が出たら少し無理をする。そういう風に今までやってきて、後悔無く過ごせているのだし。

 

来月で、初現場の日から丸10年を迎えようとしている。何度でも言うが、当時の自分はまさかこんなに長い間推し続けることになるなんて全く考えもしていなかった。

10年間なんて決して短くない期間を、幸せな10年間だった、と言い切れるのは、紛れもなく推しのおかげだなぁと日々痛感している。

私のオタクとしての10年間を《正解》に出来るのは、推ししか居ないから。

少なからず、何かしらでも推しに影響を与えられて、推しの中の何者かになれていたら。それが、私が緑推しとして生きた意味になる。

「緑推し」という存在が、推しにとっての必要なもの・愛を向けてくれるものに成れて良かったと心から思う。聖誕祭をはじめとして、推しから愛情を受け取れる機会が沢山あることが本当に本当に幸せだと感じる。

そして、この幸せな気持ちのまま死ねることも。

 

このまま晴れやかな気持ちで12月8日を迎えるのか、それとも一転して未練がましくどんより曇ってしまうのか。

分からないけれど、きらきらひかる推しの姿を見逃さないように、残りの時間を健やかに過ごしたい。

 

 

言うなればそれは、ハッピーエンド

 

何を書き残そうかな、と考えているうちに、気付けば今日を迎えていた。

2023年3月14日。

多分、今後一生忘れることがない、大切な日になるだろう。

 

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このブログは、私の中のオタクとしての気持ちを、鮮度が高い状態のままで、目に見える形で残しておきたくて始めたものだった。

誰かに伝えたい、というよりは、自分が忘れないでいられるように。

 

だから、格好つけた装飾品だらけの薄っぺらな綺麗事にならないように、なるべくーーとはいえ誰かが困るような表現にはならないように気を配りながらーー良い感情も悪い感情も素直に書き出して、その時感じたことをそのまま言語化するようにしていた。

節目のたびに過去の自分が残した言葉に目を通しては、忘れさせないでくれてありがとう、と思うのだった。

 

だからこそ、今ほど何かを書き残しておくべき時期も無いよなぁとずっと考えてはいて。

でもその表現の仕方がむずかしいなと思って、迷って、悩んでいるうちに、あっという間に月日が経ってしまった。

 

 

10周年を記念するツアーの最終日、ずっと夢見てた武道館公演が発表された余韻にも浸りきった頃、その報せは突然訪れた。

推しの卒業が発表されてすぐに私が口にした言葉は、「そうかぁ」だった。

 

少し思いを巡らせた後、「1年半後には推しと他人になってしまう」ことへの寂しさを痛感しては涙が止まらなかったこともあったけれども、

推しの選択に対するネガティブな感情は、疑問も怒りも悲しみも何もかも湧いて出てこなくて、

むしろ推しがこのタイミングでその選択をした理由も何となく分かる気がして、すごく腹落ちしていた自分が居たのは間違いがなかった。

 

強がりでもカッコつけでもなく、混じり気のない素直な心で、「今のあなたがそうしたいと思ったのならそうしたらいい」と思えるなんて、

初めての中野サンプラザ公演決定の発表を受けて、必死に辞めないでくれと、アイドルで居続けてくれと声を上げ続けた7年半前の自分では想像もできないだろう。

 

それだけ私はその7年半の間、推しのことを真剣に見ていたし、推しのことをずっと考えていた。

推しの考えていることを、推しの発言した言葉の中身を、一つ一つ見逃さないように、しっかりと紐解いて咀嚼してきた自信がある。

そして、それと同じだけ、私の考えていることを具体的に伝えてきた自覚もある。

 

あの時の1/2222だからこそ感じるものがあると思うし、覚悟できていたものがあるとも思っている。

 

思えばあの2015年の8月16日からずっと、何ならその前からずっとずっと、私は推しの「最期」を意識し続けていたのだと思う。

 

私の中の「フォーゲル」だったらその選択をするだろうな、と思ってしまったからこそ、驚くほどすとんとその発表を受け容れることができたのだと思う。

 

 

そもそも、あの時に「フォーゲル」で居続ける選択をしてくれたこと自体が奇跡だと思っていて。

推しの選択した道を正解にしたくて、後悔してほしくなくて、色んな言葉を投げかけてきた数年間だった。

 

いつまで経っても自分に自信を待ってくれなくて卑屈だった推しに対して、褒め言葉をお世辞と捉えず素直に受け取ってほしくて、本当に良いと思ったことしか褒めてこなかった。

時には、推しならきっと正しい意味で受け取ってくれるだろうと信頼した上で、少し踏み込んだことを伝えてしまったことさえあった。

 

ネガもポジも私からの言葉は全部本当の気持ちだっていうことをとにかく分かってほしくて沢山の言葉を投げかけてきたし、推しはそのどれもに対してきちんと向き合って受け止めてくれたし力にしてくれたと思っている。

 

そんな推しだったからこそ、私は今でも推しのことを見ていたいと思い続けていられるのだと思う。

 

推しが「アイドル」に対して責任感を持って直向きに努力をし続けてくれていたのを、この数年間ずっと目の前で見届けてきたからこそ、

ここまでアイドルとしてやり切ってくれたのだから、夢を叶えて自分の力でアイドルとしての人生を正解にしたのだから、もう推しの人生を推し自身に返してあげないといけないな、と、素直にそう思った。

 

 

アイドルに永遠なんて無い、ということは、色んなアイドルの卒業や解散発表を聞くたびに自分に重ねては自戒にもしていた。

 

推しは推せるうちに推せ、なんて言葉も聞き飽きるぐらい、どの現場も自分が納得のいく判断をした上で取捨選択をしているからこそ、推しの卒業発表前後で自分の行動に特に大きな変化が無かったのだと思う。

 

見えていなかった「最後の日」が明らかになっただけ。

 

今更伝えそびれたことも無ければ、焦って何かをするということも無いけれど、

明らかに違うのは、ふと感じる「寂しさ」の大きさだなぁと感傷的になる。

 

推しの「最後の日」まであと一年を切ったところで、これから先に体験する色んな季節やイベントが推しと過ごす「最後」になっていくんだと実感しては、心の奥底に抑えていたはずの寂しさが溢れてどうしようもなくなる時がある。

10年近くの間、すっかり日常になっていた"それ"が失くなろうとしていると思えば、仕方がないのかもしれないけれど。

 

 

会社の同僚に推しが卒業することになったという話をしたら、「1年半も先に知らせてくれるなんて誠実ですね」と言われて、確かにそうだな、と思った。

 

大半のアイドルはお知らせがあったとしても数ヶ月先、長くても半年程度で最後の日を迎えてしまうし、事情によっては発表された時には既に居なくなってしまっているという場合さえある。

そもそもポジティブであろうがネガティブであろうが何かしら環境を変えるに至る理由があるからアイドルを辞める訳であって、そんな中でこれだけ長い時間を与えてくれるというところに、推しの人柄を感じられたような気がした。

 

卒業発表をして直ぐに「皆んなからの気持ちをきちんと受け止めたい」と言ってくれたこととか、聖誕祭で「皆んなの望むものをなるべく叶えてあげたい」と話してくれたこととか、

卒業間際なんて特に、オタクからのエネルギーが良くも悪くも大きくなるから負担にならない訳がないのに、それでもまだ関わらせてもらえるんだなぁと思うと、こんな推しを推せて幸せで仕方ないな、と思う。

 

卒業について咀嚼する時間も、今までの思い出を振り返る時間も、改めて感謝を伝える時間も、こんなにたっぷりと与えてもらえることは、本当に幸せなことだと思う。

 

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振り返れば、一つの人生を生き抜いたかのような気分になる。

 

初めはただの好奇心で遊びに行った現場、直感で決めた推しだったけれど、

いつの間にかこの人を応援したいと強く思うようになって、

その気持ちを知ってほしいと思うようになって、

その人が考えていることを知りたいと思うようになって、

その時々で思っていることを伝えたり考えていることを聞かせてもらえたりしながら、

「武道館公演」という同じ夢に向かって同じ時間を過ごして色んな節目に立ち会って、

そして、夢を叶える瞬間も、最後のステージも見届けようとしている。

 

元よりアイドルという存在が好きなので、色んなグループの夢を一緒に見てきたけれど、こんなに内側まで肉薄した推しは後にも先にも存在し得ないだろうと思う。

それだけ情緒的で、充されていた人生だったな、と。

 

当たり前のように次の夢を語ってくれることを羨ましく思うこともあるけれど、こうやって一緒に夢を叶えられたような感覚になれたことも他に代え難くって、

彼が私にとっての"生涯で一番の推し"なんだろうなぁって素直に思う。

 

 

そんな"生涯で一番の推し"の夢が叶う日が、とうとう来たのだなぁ、

と、書いている今も全然実感は湧いて来ないのだけれど、それでも何故か自信だけはずっと有って。

中野サンプラザも、パシフィコ横浜も、幕張メッセも、彼らにとっての大舞台はいつだってその時の「最高」を見せてくれた。そんな彼らの武道館公演がつまらないわけがないと、今までの経験から心底信じられている。

そして、推しのパフォーマンスも、いつだって大舞台に立つ時が一番輝いていたのを見てきたから、武道館公演のその日が、今までで一番最高で最強の推しなんだろうって心の底から本気で信頼している。

 

昔から、この人は沢山の人に見られれば見られるほど輝く人なんだ、と思っていた。大量のペンライトの光で溢れる景色をうっとりと見渡す姿を見る度に、やっぱりこの人には大舞台が似合うな、と思っていた。

そんな人が見せてくれる夢の大舞台が、最高じゃないわけがない。

そういう自信に溢れていて、楽しみな気持ちが勝りすぎてしまって、ドキドキもソワソワもその後を考えた時の寂しさも、何もかもを置いてけぼりにしたまま当日を迎えてしまった。

 

 

何よりも、「武道館公演」という大きすぎる節目を、こんなにも晴れやかな気持ちで迎えられることが、本当に本当に本当に嬉しい。

 

初めて飛び込んだ9年半前のあの頃から、本当に色んなことがあった。

色んな人と出会ったし、色んな場所に思い出を作ったし、色んなことを考えてきた。

色々と選択を迫られる場面も沢山あったけれど、その時々の自分の直感を大切に判断してきたことの全てが、後悔なく今に繋がっていると思う。

常にその時感じた「最良」を選んで生きてきたからこそ、こんなにも誇らしい気持ちで今日という日を迎えられたのだと思う。

 

紆余曲折、本当に色んなことがあった。勿論楽しいことばかりではない、嫌になってしまったことも沢山あった。

それでも、今でも尚、こうやって彼らを追い続けていられるのは、紛れもなく推しの存在のおかげでしかない。

寛大かつ謙虚で、どこまでも直向きな彼だったこそ、今日という日まで納得して応援し続けることができたのだと心底思う。

 

そんな彼を見つけることができて、好きになることができて、本当に良かった。

 

志半ばで夢を諦めざるを得ない人の方が多い中で、こうやって夢が叶うこと、そして、その場に自分も立ち会えることは、本当に幸せなことだと思う。

 

"生涯で一番の推し"と、同じ気持ちで同じ夢を追いかけてそれを叶えられたことを、心から誇りに思うし、幸せだと感じる。

 

 

冒頭でまるで一つの人生を生き抜いたように思う、と言ったように、こうとも思ってしまうのである。

 

言うなればそれは、ハッピーエンドだと。

 

 

勿論まだ終わらないし終わらせないでいてくれているけれど、

今日参加する全ての人にとって、今日という日が大切な思い出になりますように。

 

 

 

 

たった一つ変わらぬ愛がここに

 

『その日その瞬間、自分が楽しいと思える方を選んでいけば、

振り返った時に楽しい人生になっているはずだ』

自分が大切にしている人生観の一つです。

 

未来のための辛抱とか我慢とかとにかく得意じゃなくて、と言うのも、辛抱や我慢を続けて貯金した“未来“は本当に想像通りに訪れてくれるか分からないと思ってしまっているから。

明日突然自分が死ぬかもしれない。それだけでなく、自分の大切な人が無事じゃなくなるかもしれない、自分のやりたいように生きることができなくなるかもしれない。

そうなった時に、「やれる時にやっておけば良かった」なんて後悔をしたくないなと思って、自分の人生がいざ終わるぞという時に、「平凡ではあったけど、何やかんや毎日幸せだったから良かったよね」と、そう思える生き方をしたいな、と常々思っています。

 

 

そんな感じで生きていたら、むすめん。並びにMeseMoa.を推し始めてもう8年半も経ってしまっていました。

 

 

 

8年半前の初現場の日のことは今でも鮮明に憶えていて。

友人の口コミで知った『むすめん。』に対して、母親がハロ好きでその影響を受けていたことから興味を持つようになり、どうやらライブではジャニ曲もカバーするらしいという理由でライブに行ってみたいと思うようになり、そう思ったタイミングで近々で大阪に来るらしいという奇跡的な巡り合わせで、今思い返しても驚くぐらいの運命的な直感と行動力で、自分にとっての初現場となる『2013秋冬〜なりきりッ☆男子ING〜』初日の大阪公演に足を運ぶことになります。

 

この初現場でとにかく素敵なご縁に恵まれまくったことが、今の私を作っているなとつくづく思います。

この日のチケットを譲ってもらった人とは今でもご縁がありますし、この日に声を掛けてもらって友人になれた人の中にもまだご縁が続いている人がいます。

こういうアングラな現場に足を運んだことが無いくせに、右も左も分からない中でとりあえずドンキで買った緑色の光る棒を握りしめて、たった独りで飛び込んだ新しい世界が、その先こんなにも長く続くことになるとは当時の私は夢にも思ってなかったことでしょう。

事前予約制だからといって選んだ「緑色の推しメンTシャツ」が、この先何年間も一番に想い続ける人を決めた選択だったということも、当時の私は知る由もありませんでした。

 

何の気なしに 始めたそれが

回線越し コミュニケーション

瞬きしたら 縮んでた距離

赤の他人だったけど

 

 

初現場のライブはとにかくずっとずっとずっと楽しいという感情しか湧いてこないくらいに楽しくて、「お仕事じゃなくて純粋に歌って踊ることが楽しくてライブをしている人を見ることってこんなに楽しいんだ!」という今まで感じたことのなかった刺激的な楽しさに呑まれて、あっという間にむすめん。に夢中になっていました。

この公演では、にーちゃんがBLAZEまで一旦お休みをする発表もされていたり、オタクが有志で白服さんとのっくんの誕生日をお祝いするサプライズを行っていたり、初現場にしては色んな方面にエモーショナル過ぎたことも、私がむすめん。の魅力に取り込まれた一因かもしれません。

今まで遠征したことも無かったくせに、その日に出来た友人とその日のうちにツアーファイナルである新宿BLAZEに行こう、と即断してしまうぐらいにはむすめん。の虜になっていました。

 

そして初遠征は新宿BLAZE、と思いきや、あまりの楽しさに我慢が保たずに同ツアーの名古屋公演に足を運ぶことになります。

会場近くの雑貨屋で差し入れを買って手紙と一緒に預けたこととか、初めてのランチェキ物販でそわそわしながら並んでいたこととか、サプライズでたじファン初披露となりお見送りが新衣装で興奮したこととか、些細なことまで今でも鮮明に記憶しています。

 

そしてファイナルの新宿BLAZE、忘れもしない5時間にも及ぶ伝説の公演。

ぶっ倒れるぐらいしんどかったし(実際ぶっ倒れる人も出た)、意味分からんぐらい泣いたけど、この公演に行く決断をして本当に良かったと当時も思ったし今でも思っています。

この公演に入ったからこそ、もっとむすめん。を見たい、もっとむすめん。を応援したい、と強く思うようになりました。

 

そこから、推し不在のたじファンチェキ会、豪雪のバレイベ、土足厳禁のワンドリチェキ会、初の肉フェス等、色んなイベントに遠征するようになって、沢山の友人に恵まれました。この頃知り合った人で今でもご縁が続いている人がそこそこ沢山いることで、このグループのオタク寿命の長さを実感します。

 

6月から始まった『全国ツアー2014〜夏★彡MEETING!会いドル気取り真っ最chu♡〜』では、新規ハイよろしく気がつけば8割ぐらいの公演に遠征するほどに夢中になっていて、ツアー各地でますます沢山のご縁に結ばれることになります。

流石にこの頃には推しに認知されるようにもなっていて、お見送りで初めて向こうから名前を呼んでもらった日のことは今でも忘れていません。

そういえばこの頃くらいまでの彼はイベントの際は全リプ返をしていて、そういうマメで丁寧なところは昔から今も変わっていないんだなぁと改めて感じました。フォロワー宛の通知が来てから自分の番が来るまでのドキドキ感も今では懐かしいなと思います。

この頃は本当に毎日毎公演が楽しくて仕方なくて、とにかく目の前の現場に行きたい!皆んなにもこの楽しい現場のことを知ってもらいたい!という気持ちで本能的に生きていたような気がします。

 

溢れ出す何かに

今は身を委ねていたい

走り出してる どうにでもなるBrave

みんなで拡散希望

 

 

そして年が明けた1月2日の『単独ライブ in Zeppダイバーシティ東京 〜ほっぷ ステップ Zeeeeeeeeeepp!!〜』。

この公演で彼らがかねてから目標にしていた中野サンプラザでのライブ開催が発表されたことで、この日が私のオタク人生のターニングポイントとなりました。

それまではどちらかと言うと箱推し寄りだった私が、より一層“推し“という存在を意識するようになり、今までよりもずっと彼に向き合うようになりました。

 

「むすめん。が解散するかもしれない」

「推しが卒業するかもしれない」

 

常にそういった不安に駆られながら過ごした8ヶ月だったなと今振り返っても思います。

自分が後悔しないために、行ける現場には極力行こうと思って『全国ツアー2015夏 〜ビーナス探知機きゅぴぴぴぴーん⤴︎⤴︎〜』にも沢山足を運んだし、彼と話せる機会ではとにかく「これからも応援させてください」としつこいぐらいに伝え続けていました。

初めての聖誕祭では、これが最初で最後のソロイベだろうなという想いも抱えながら、友人と協力してスタフラ企画を興したりもしました。

『推しは推せるうちに推せ。』

その言葉通り、自分が後悔しないために走り抜けた8ヶ月間でした。

 

そして迎えた運命の日、2015年8月16日。

推しが自身のターニングポイントと称する中野サンプラザ公演の日。

むすめん。をお仕事にしていくこと、彼がアイドルを続けていくことが発表されました。

この時の色んな感情は、当時の私がクリアに言語化してくれているおかげで今も忘れずにいられます。

 

vert.hatenablog.com

 

 

推しの中で何となく覚悟が決まったような『感謝祭2015冬 〜Re:START〜』を経て、春からは『全国47都道府県ツアー 〜Thanks!〜』が始まります。

就活や卒論と重なり時間的にも金銭的にもあまり余裕が無い中でも、1公演でも多く行きたいと色々我慢をしたり多少無理をしたりしていた一年だったなと思います。

それでも47の時代を生きていたオタクが口を揃えて「楽しかった」って言うくらいには、毎公演楽しくて充実していたツアーだったなとも思います。

 

思い出話にはキリが無いけれど、推しに関して印象的なところを挙げるとするならばソロ演目だと思っていて。

47ツアー最初のソロ回し、彼の順番は岡山公演で回ってきたのですが、そのソロ演目の光景を今でも忘れらずにいます。

それまでもソロ演目を演る機会は何度かあったものの、歌もののソロ演目は確かこれが初めてだったように記憶していて、だからこそ最近でも彼が歌もののソロ演目を演る度に、この時の光景を思い出しては成長を痛感しています。

 

vert.hatenablog.com

 

 

47ツアーのソロ回しについては、都合もあって彼の全ての回を見られた訳ではないのですが、メロディーをアレンジして歌ってみたりフェイクを入れてみたりと毎回プラスワンの表現に挑戦してくれていたのをしっかり憶えています。ソロ演目に対する責任感の強さはこの頃から変わってないなと、思い返すことで改めて実感します。

ソロ回し終盤戦の広島公演の頃には、会場で緑を振る人が沢山に増えていて、その日の終演後の握手会列が長蛇の列になっていたことも、彼に対して「緑推し増えたね」と話したことも、今でも鮮明に憶えています。

 

そして迎える『むすめん。全国47都道府県ツアーファイナル ぜあらる。卒業 ~Special Thanks!~』をもって、「むすめん。としての彼らを応援していた私」の物語を一旦綴じることになります。

 

この先の奇跡に

どこまででも ONで行こう

 

 

『むすめん。』から『MeseMoa.』に名前を変えて、兼業アイドルだった彼らは専業アイドルへと、これまでの道から新しい進路に乗り換えました。

会社を立ち上げ、仲間が増え、後輩ができ。趣味としてやっていた活動がどんどんビジネス味を帯びていきます。

私が彼らに惹かれたきっかけが「ビジネスっぽさが無い純粋な楽しさ」だったこともあって、少しずつ変わっていく彼らを取り巻く環境に全力で乗っかりきることができず、その土俵で戦うつもりならあまりにも未熟すぎると、中途半端な場所で試行錯誤している彼らに対してもどかしさを感じるようになりました。

とはいえ彼らのことを応援していなかったのかと言われればそうではなくて、不器用ながらも出来ることを手探りでやり進めていく彼らに対して、たまには愚痴をこぼすことこそあれど、現場に足を運ぶことを通じて彼らの活動を見守り応援していたつもりです。

全肯定オタクになりきれない自分自身に葛藤を抱きながらも、結局は推しのことを、MeseMoa.のことをこれから先も見ていたいなと何度も思い直したことで、その手を放す選択をせず今に至ります。

 

vert.hatenablog.com

 

 

そんな事を考えている最中に、『全国ツアー2018〜Maze No.9〜』が開催されていました。

この公演では、ライブパート合間に演劇パートがあって、「彼らがもしアイドルじゃなかったら」という完全当て書きのifストーリーを、それぞれが本人役で演じていました。

この演劇パートの影響があってかどうかは分かりませんが、この年2018年に行われた推しの聖誕祭の日には、自身の過去のこと、特に初めての中野サンプラザ公演のことについて言及しており、それだけでなく「最初はあの日に辞めるということを言うつもりでいた」というような発言もしていました。

私が長年彼を見続けてきた中で、彼の大きな変化を感じたタイミングが三度あるのですが、その二度目がこの2018年の聖誕祭です。

(ちなむと、一度目は言わずもがな2015年の初中野サンプラザ公演の日、三度目は後述します。)

この日やMazeツアーで感じたことについても、当時の自分がクリアに言語化してくれていています。

 

vert.hatenablog.com

 

 

この日、自分を一番に応援しているファンを前にこの発言をしたことで、彼が『アイドルとして生きる』という覚悟が本当の意味で固まったのかな、と感じました。

実際に、この辺りの時期を機に彼は非常に『アイドルらしくなった』と感じています。

根っこの真面目さや直向きさはそのままに、それまでの「俺なんて」という卑屈すぎる謙虚さも柔らかくなり、少しずつ自分が“見られる対象“であることを自覚していったように、私の目には映っていました。

「自分が出来る事をやるだけ」と言っていた彼が、「皆んなに笑顔になってもらいたい」からステージでパフォーマンスをするようになり、当時過去最高動員の『全国ツアー2019 Ch8~チャンネル8~』ファイナルであるパシフィコ横浜公演では、昔の彼からは想像もできないぐらい堂々としたパフォーマンスを見せつけてくれました。

私がこの時期の彼を表現するならば、『MeseMoa.のために生きる覚悟を決めた』という言葉を当てはめるかな、と思います。

 

vert.hatenablog.com

 


同年大晦日から年明けにかけて開催されたカウントダウンコンサート『Love!×2 チューチュー! Yeah!×3』の最後には、かねてからの念願だった推しの初センターシングル曲である『烏合之衆』が発表になりました。

大歓声の中、会場を見渡しては心の底から嬉しそうな表情を浮かべていた彼の姿は忘れられません。

私自身も、「ようやく推しがグループの中で一番注目される機会を貰えるんだ」とすごく嬉しかったし、彼がかけてくれた「一緒に攻めよう、緑推し」という言葉を受けて、この先に待つ未来をすごく楽しみにしていました。

 

あと少しで『烏合之衆』が初披露になる。その目前で、世界が大きく変わってしまいました。

 

『烏合之衆』のリリースイベントも、夏にかけて行われる予定だった全国ツアー『GALAXY.5』も、予定されていた全てのイベントが開催を見送らざるを得ない状況になり、終わりの見えない自粛生活を強いられるようになりました。

どう明るく努めようとも落ち込まずにはいられないそんな状況下でも、推しはずっと努力を続けることをやめないでいてくれました。

意図して高頻度で行われていた個人配信や、一つ一つに全力で向き合ってくれたソロライブ及びペアライブ配信など、定期的に顔を見せて想いを伝えてくれたからこそ、あの期間を乗り越えられたと強く思います。

 

前述した”推しの大きな変化を感じたタイミング”の三度目が、この自粛期間です。

『烏合之衆』の発表から始まり、自粛期間を乗り越え、11月にようやく初披露が叶った2020年は、彼が『緑推し』に対して愛を伝えてくれたことが印象的な一年だったと思います。

この記事内でも言及していますが、それまでの彼の意識の中には「いつだってメンバーが居て、自分の楽しい事が在って、オタクの存在は無い」というのが、私から見える彼の印象でした。敢えて『緑推し』と限定して話してくれることはなく、彼のメッセージの宛先はいつだって『イルミィの皆んな』でした。

そんな彼が、『緑推し』に対してのみ想いを伝えてくれること、感謝を感じてくれていること、それを分かりやすい形で表現してくれるようになったこと。これらはこの自粛期間があったからこそ起きた変化だと受け取っています。

彼は度々、「俺は何も変わっていない。その表現の仕方を変えただけ」というような発言をします。

きっと彼の言う通り根本の考え方や感じ方は変わっていなくて、だけれどもそれを伝えてくれない限りはこちら側はその中身を正しく受け取ることができなくて。だからこそ、彼の想いの中身を、その宛先を、より具体化して伝えてくれるようになったことは、こちら側にとっては大きな変化だと感じられます。

 

沢山の”当たり前”が奪われて苦しいこと続きの期間だったけれど、私が思っていたよりも実はずっと推しと相思相愛だったのかもしれないと気付くことができ、そう想い合える幸せな関係性が大切だなぁと噛み締める良い機会になったと今では思います。

 

vert.hatenablog.com

 

 

長い自粛期間を乗り越えて、制限こそかけられているものの、少しずつ日常を取り戻していくことができました。

そんな中で開催された幕張メッセ公演『Continue~強くてニューゲーム~』。

あまりにも頼もしすぎる推しのパフォーマンスに、始まりから終わりまで思わず笑顔でいられた、ポジティブな気持ちで充たされに充たされた公演でした。

 

その中でもひと際印象に残っているのが『烏合之衆』で、幕張公演でのこの曲のパフォーマンスを見て、思うようにいかなかった期間も全てひっくるめて「全部これで良かったんだ」って素直に感じました。

何事もなく平穏な世界線で『烏合之衆』が披露できていたとしたら、きっとこの幕張で見せてもらったようなパフォーマンスにはなっていなかっただろうと思います。きっと、色んなことが「今まで通り」だっただろうと。

様々なことに悩み苦しんだ一年間があったからこそ、本当の意味で「センター曲」が完成したような、そう思えたパフォーマンスでした。

 

幕張公演を象徴する『陽之鳥』の歌詞の中にある、「終わりがあるから人を愛せるの」というフレーズと重ねて、終わりがあるからこそ”今”を大切にしたいし、そういう”今”をこれから先も積み重ねていきたい、と強く感じました。

 

vert.hatenablog.com

 

 

 

それから一年が経って、むすめん。そしてMeseMoa.は10周年を迎えようとしています。

2022年春に行われた『10周年記念ツアー春 アイドル気取りで何が悪い!~MeseMoa.ハウスへようこそ~』ファイナルである立川公演では、かねてからの目標であった日本武道館での公演決定が発表されました。

 

おめでとう。嬉しい。楽しみ。絶対行くからね。

でも、その先は?

 

今までの8年半を振り返りながら、10か月先の未来を想像しながら、複雑な沢山の感情を、今でも咀嚼しきれずにいるのが正直なところです。

まだ文章として自分の気持ちを書き残すには、想いの方向性が定まっていないのですが、2023年3月14日に向かって、今まで積み重ねてきたのと同じように積み重ねていくだけしかできないと考えています。

 

 

一人の踊り手だった『フォーゲル』というアイドルの、今の姿を見届けたい。

最後の最期まで、近くで向き合って、顔を合わせて、言葉を交わして、想いを伝えて。

彼が『フォーゲル』として生きた人生の中に、少しでも関わっていたい。

たった一欠片でも、どんなことでもいいから、彼の糧になっていたい。

彼が『フォーゲル』としての人生の幕を引く時に、「居てくれて良かった」と、そう思ってもらえるような『緑推し』で居たい。

 

『フォーゲル』として生きることを選択した初めての中野サンプラザ公演の日も、

MeseMoa.』のために生きることを決意したように映るあの年の聖誕祭の日も、

『緑推し』のために生きることを伝えてくれたように受け取れるあの時期も、

全部全部見届けてきたのだから、これから先も見逃さないでいたい。

 

それが、今感じる素直な気持ち。

 

 

でも当面は、どうなるか分からない”未来”のことは深く考えないで、「武道館の真ん中でピンスポを浴びながらソロダンスをする」というあの日の彼の決意を見届けることができることを楽しみに、”今”を生きていこうと思っています。

 

色々あったけど、何やかんや毎日幸せだったな。

そう思える”未来”が待っていますように。

 

 

溺れた

 

LOVE BLOOD初日、福岡公演を観て来た。

 

感想、

くるしい。

 

終始座って観ていたはずなのに、涼しくて快適な空間で観ていたはずなのに、過去一観ていて疲れた公演だった。

もちろん、良い意味で。

 

 

これは綺麗な感想ブログではないので、セトリに沿って綺麗な感想を書き連ねるものではないです。

ただ、今感じているこの情動を忘れないうちに書き残しておきたいという気持ちで画面に向き合っている。

まだ配信も見返していない、だから間違っている部分もあるかもしれない。

思ったままの言葉を書き並べるだけなのでとても読める文じゃないとも思う。

でも、今のこの新鮮な気持ちを失う前に残しておきたいのでこの場所を使いたい。

 

 

 

 

「LOVE BLOOD」というツアータイトルが発表された時点で、「あ、これは私が好きそうなセトリになりそうだな」という予感はしていた。

かわいいよりもかっこいい、楽しさを共有するよりも一方的に魅せられる、私はそんな曲が好きだしそんなパフォーマンスが好きな人だった。

 

幕張公演でも思ったことだが、「今までの彼らの曲」を「今の彼らが演ること」に重きを置いた選曲とセットリストは驚くほどに私好みで、創った人の「これを見せたい」が隅々まで染み込んでくるようだった。

 

「この曲をこう演るなら次はこの曲を演りたい」も、「この衣装だったらこの曲をやりたいところだろうけど構成にそぐわないから敢えて演らない」も、真意は定かではないけどその塩梅が絶妙だった。(個人の感想です)

雨君→MW→真逆の流れなんかは完全に前者だし、和風の衣装を着て最新アルバム曲の和曲である狂喜乱舞を選ばなかったのは後者だと思う。(個人の感想です)

幕張で言うところのTempestのように過去曲の持ち出し方が上手で、Turasのリアレンジや蝉時雨を入れるタイミングなんかが素晴らしくて、「今の彼ら」が演ることによって曲のイメージすら変えられるんだなと感嘆した。

幕張の大逆転ディーラー始まりもそうだが、キミラビリンスで始まる絶妙さで頭から惹きつけられた。

 

初めてのヘッドセットで全身を自由に使って新しい形で魅せまくる前半戦があり、スタンダードかつ今まで積み重ねた地力が一番出る圧巻のパフォーマンスで畳みかける後半戦があり、アンコールではきちんとエモさや楽しさも届けてくれる、まさに息を吐く間も無い怒涛のセトリだった。

 

演目が進むにつれて段々と息を詰まらせていく自分が居るのが分かったし、終わった後は何故か肩で息をするほどに緊張していたし集中していた。

やっぱりコンセプティブなセトリが最高に好きだ、と噛み締めながら全身で感じた二時間と少しだった。

(セトリ以外の構成やら衣装替えやら映像やら照明やらも色々良かったけどキリがないので割愛)

 

 

 

まぁ、何よりも。

 

推しのパフォーマンスが、めちゃくちゃ良かった。

 

それに尽きる。

 

 

 

 

 

数年前、推しを取り巻く環境の変化にも、自分を取り巻く環境の変化にも飲み込まれて色々疲れていた頃に、とあるグループと出会った。

「ただ踊るだけじゃない魅せるパフォーマンス」の魅力に一瞬で取り込まれた私は、いつしか推しにも"それ"を求めるようになってしまっていた。

優しくて真面目な推しは、自分達のオタクの中にそういうものを求める層も少なからず居る、というのをきちんと理解した上で、不器用ながらもそういう側面も自身のパフォーマンスに反映させようと努め続けてくれているように思う。一人でも多くの人に楽しいと感じてもらえるために。

 

本人のアイドルとしての意識の向上に伴ってぐんぐんとアップデートされていく彼のパフォーマンスを見るのが大好きだった。

公演を重ねる毎に表現の幅が広がっていくのが、踊りや表情に余裕が出ていくのが、ステージの上で「アイドルとしての推し」が「素の推し」を飲み込んでしまう瞬間を見るのが堪らなく大好きだった。

 

派手ではなくとも堅実に成長していく彼の未来を見届けるが楽しみだったし、「いつか推しの圧倒的パフォーマンスに溺れて死にたい」と思うようになっていた。

 

 

 

今日感じた息苦しさは、きっと「溺れた」んだろうと思う。

 

途中からキンブレを振れなくなった自覚はあった。とにかく、推しの一挙一動を見逃すまいと、集中して推しの姿を目で追いかけていたのだろう。

息吐く間も無く繰り出されるあれやそれやに置いて行かれないようにするので精一杯だった。

 

あんなに歌い切ることに必死だった彼が、こんなに自然にオタクが沸ける表情や仕草を加えて歌えるようになったのか?

あんなに踊り切ることに精一杯だった彼が、こんなに曲のイメージを左右する程に曲に色を付けて踊れるようになったのか?

あんなにどこを見ているか分からなかった彼が、こんなに客席のお客さん一人一人と目線を合わせられるようになったのか?

 

いきなりこうなったわけじゃない、

ずっと確かに積み重ねてきたのをちゃんと見てきた。

 

でも、今日の彼は確実に今までよりも「最高」だったと私は感じた。

 

推しのパフォーマンスに、確かに「溺れた」。

 

 

 

推しは、逆境を糧に出来る人なんだと改めて感じた。

今回の色々あった悔しさや色んな感情が彼を押し上げて、今日のパフォーマンスに上乗せされたのかもしれない。

 

今の自分が出来る限りを見せつけてやろう、最高のパフォーマンスにしてやろう、

そういった気合がこれでもかと伝わってきたから充たされた。

 

確かに「出来る限りの全て」だったし、確かに今までの「最高」だったと私は感じた。

でも、まだ「天井」じゃないって思わせられるのが怖いなと素直に思った。

 

ステージの上でのみ、アイドルとしての推しが素の推しを完全に飲み込んでしまう未来が怖くも楽しみになってしまった。

その片鱗を、確かに今日見てしまったから。

 

 

 

やっぱりツアーって楽しい。

 

初日の荒削り感も、公演を重ねていく毎にアップデートされていく過程も、オーラスのブラッシュアップされた姿も、全部全部見たくなってしまって仕方がない。生で体感せずには居られない。

 

中々理想通りにはいかない現実と戦いながら、また手放せない夢を描くのだろうなと感じた初日雑感でした。

 

 

 

「圧倒的パフォーマンスに溺れて死にたい」

 

 

 

終わりがあるから人を愛せるの

 

2021年4月29日幕張メッセ公演、

先ほどアーカイブ視聴期限も終了し、メンバーの振り返り放送もあっていよいよライブが終わろうとしている余韻の中で、私自身も幕張公演を通じて感じた想いを綴じておきたい。

 

 

 

幕張公演で感じたこと。

 

楽しかった、

頼もしかった、

誇らしかった。

 

推しが、スーパーアイドルだった。

 

 

幕張公演、入る前は絶対に泣かされて帰るんだろうなって思っていた。

幕張の宣伝ツイートで発表された「陽之鳥」のフレーズを聴いて、これを幕張のステージに立って歌う推しを見て泣かされるんだろうと想像していた。

でも終わってみれば終始笑顔だった。ずっとずっと楽しかった。終わってからもずっとずっとずっと楽しかった。こんなに100%ポジティブな気持ちで充たされるライブなんて彼らでは初めてかもしれないというくらい、本当にずっと笑顔でいられた。

 

 

思い返せば、今まで彼らのライブで何度も泣かされてきた。

彼らの辿った軌跡はあまりにも物語的で、中でも改名前の節目のライブはそれが特に顕著だった。

 

5時間にも及んだオールスタンディングの新宿BLAZEでは、兄がいなくなってしまうかもしれないと身体中の水分が枯れ果てるほど泣いていたし、

念願の中野サンプラザ公演が発表されたZeppDiverCityでは、むすめん。が解散してしまうかもしれないと公演終了後の夜明けにかけて粛々と泣いていたし、

夢の舞台でありながら推しと推しグループの進退が明らかになる場でもあった中野サンプラザでは、自分たちのエゴで推しの本来の幸せを奪ってしまったかもしれないと公演中ずっと泣いていたし、

47都道府県ツアーのファイナルでありぜっちゃんの卒業公演でもあった2度目の中野サンプラザでは、今までの彼らに対する想いが溢れるかのように泣いていた。

 

もちろんどのライブも「楽しい」は感じていた。でもそれ以上に「しんどい」が勝っていた。

「しんどい」涙がエモくもあって、私がむすめん。を追いかけた3年間と少しの期間は、それこそ湧き上がる情動に突き動かされて駆け抜けていった青春のように思う。

誰かのためにこんなに感情的になれるなんて彼らを見つけるまでは知らなかったし、なりふり構わず感情のままに突き進むのは気持ちが良かった。沢山泣いたし沢山悩んだけど、それ以上に沢山笑ったし沢山充たされた。

他の誰もがそう思うかは分からないけれど、少なくとも私の中では改名前と改名後は同じだけど違うグループのように感じていて、「むすめん。としての彼らを応援していた私」として、その物語を一旦綴じている。

 

 

改名してからしばらく、兼業の素人から専業のアイドルになった彼らに対する見る目が無意識のうちに厳しくなってしまっていたりして、それこそ自分の青春時代を共にした友人らが次々と離れて行ってしまう状況をみすみす見過ごしたくなくて、置いて行かれた自分の方が間違っているんじゃないかと不安になったりもして、いつも心のどこかに充たされない何かがあったように思う。

思わず不安にさせられるような彼らの物語性の演出も、アイドルとしての道を選んだ推しの選択をきちんと正解にできているかどうかも、その時々の「楽しい」に追随するように「しんどかった」。

「もっと見ていたいな」と「もう見ていられないな」の相反する感情を行ったり来たりして、それでも「まだ手放したくないな」の気持ちを捨てきれずにずるずると生きてきた。

 

救われたのは推しの存在だった。

彼はいつだって努力を怠らなくて、不器用ながらもいつも一歩でも前に進もうと努めていた。昔から、彼のどこが好きで推してるの?と聞かれたら「頑張り屋さんなところ」と答えていたが、彼が堅実に努力を積み重ねられる人だったからこそ、私は今も彼の事を見ていたいと思わされているのだと思う。彼が怠惰な性格だったら、とっくの昔に手を放していたと思う。

謙虚で誠実で努力家な彼だからこそ、この未曽有の事態の中であっても彼を応援したいと思い続けることができたし、同じように感じた人が沢山居たことも納得できた。

 

 

不遇だな、とずっと思っていた。

この人はこんなに頑張っているのに、どうしていつもこうなんだろうって思っていた。

彼の初めてのセンター曲にまつわる、彼に対する様々な「特別扱い」が、どうしてか対等に扱われていないような気がしてしまって嬉しくも違和感があった。

これっきりみたいな言い方しないでよ、他の人の時はそんなに持ち上げなかったじゃん、と素直に喜べなかったこともあった。念願叶ってようやく推しが全員に注目されることに心から喜ぶ自分と、何となく居心地の悪い違和感を覚える自分が居た。

挙句の果てに、何てタイミングが悪いんだろうか、いよいよ初披露という一歩手前で世界が変わってしまった。今まで「当たり前」に与えてあげられなかった幸福感をようやく味わってもらえるかもしれないと思っていた矢先に、またしてもその機会が奪われてしまった。

やっぱり不遇だな、と悔しくなった。

 

 

本来の形で叶えてあげられなかった悔しさや哀しさは確かにある。

それでも、幕張公演での烏合之衆のパフォーマンスを見て、「全部これで良かったんだ」って素直に思った。

 

幕張公演の烏合之衆、本当にめちゃくちゃ良かった。

あれだけ大きな会場のど真ん中で、暗転からただ一人ライトに照らされて「Evolution for you」と手を伸ばす横顔が、どれだけ堂々としていたか忘れられない。推しだけがずっと0番に立っていて、メンバーがその周囲を取り囲む。ステージの、会場の中心で、全員の注目を浴びて、堂々と歌い切る姿がどれだけ誇らしかっただろうか。メンバーの背を追うようにメインステージへと走る背中が、「俺がお前を連れて行く」のフレーズに合わせて隣に立つメンバーを見やる姿が、どれだけ頼もしかっただろうか。

あの推しが、幕張の舞台でこんな姿を見せてくれるのか、と、全身がゾクゾクして、マスクの下で口元が思わず綻ぶほどだった。

 

こんなことを言ってはいけないと分かってはいるが、コロナのタイミングで烏合之衆があって良かったかもしれないと思えた。

推しの2020年を締めくくるツイキャスでもそんなような発言があって、言葉選びをすごく迷いながら慎重に話してくれていたけれど、幕張のパフォーマンスを見てその言葉の意味を真に理解できたような気がした。他のメンバーじゃなくて俺で良かったと言える優しさも、自分なら単純明快じゃんって言えちゃう強さも、強がりじゃなくてちゃんと本物だった。

もし、何事もなく平穏な世界線で烏合之衆が披露できていたとしたら、きっとこの幕張で見せてもらったようなパフォーマンスにはなっていなかっただろうと感じる。きっと、色んなことが「今まで通り」だった。

強制的に立ち止まって初めて目に映してもらえたものがあって、向き合ってもらえたものがあると思っている。コロナがあったからこそ、彼の言う「見てくれる人に楽しんでもらいたい」の気持ちの中身がより詰まったものになったと思うし、ステージに立つ責任感にも変化があったと思う。

 

コロナに悩み苦しんだ一年間があったからこそ、本当の意味で「センター曲」が完成したような、そう思えたパフォーマンスだった。

 

 

もちろん烏合之衆以外の演目についても、幕張公演全ての演目において、推しのパフォーマンスがめちゃくちゃ仕上がっていたと思う。

史上最大規模の会場でも一人きりで堂々と歌い上げる姿も、ステージやトロッコからお客さんに対して笑いかける姿も、MCで自分の想いを力強く伝えようとする姿も、全部全部頼もしくって誇らしくって仕方が無かった。

間違いなくスーパーアイドルだった。

 

何よりも、今までと圧倒的に違うなと思ったのは、自身のパフォーマンスに対する余裕だった。

今まではどうしても間違わずに上手くやらなければという必死さや緊張から顔が強張ることが多く感じていたけれど、今回の幕張では良い意味でずっとパフォーマンスに表情があったように感じた。ミスした時に露骨に動揺するところは昔から変わらないなとクスリとさせられながらも、終始堂々としたパフォーマンスを見せてもらえて、本当にずっとずっと目で追いたくなるくらい見ごたえがあった。何よりも、楽しかった。

推しの表情から、ダンスから、歌声から、その全てから「みんなに楽しんでもらいたい!!」という気持ちが伝わってくるようで、それにつられて私自身もずっと笑顔だった。絶対に泣かされるだろうなと覚悟していた陽之鳥でも、瞳を潤ませながらも一生懸命歌い上げる推しの姿を見ては思わず顔が綻んだ。

 

推しが一番に伝えたい「楽しい」という気持ちが伝播して、同じ感覚で幕張公演を共有できたことがすごく嬉しかった。

 

 

 

 

 

陽之鳥の歌詞の中に、このようなフレーズがある。

 

「終わりがあるから人を愛せるの」

 

その通りだな、と思った。陽之鳥の中で、一番に刺さったフレーズだった。

 

アイドルに永遠なんて無い、というのはここ数年間で心に刻み続けてきた言葉だけどその通りでしかなくて。

「アイドルとオタク」という関係は、どちらかの意思一つで「ただの他人」になってしまうものなのである。アイドルがアイドルを辞める時、オタクがそのアイドルから降りる時、どちらにも何度も居合わせてきたけれど、それらはいつだって突然だったし無情だったし遣る瀬無かった。

 

でも、そんな不安定で刹那的な関係だからこそ、言える言葉があって伝えられる愛があると私は思う。

終わりがあるからこそ「今」を大切にしたいし、「今」思っている気持ちを一言も漏らさないように伝えたいと思う。そういう「今」を、これから先も積み重ねていきたいと思う。

 

 

私の「未来」にMeseMoa.が在るかどうかは分からないけれど、私の「今」にMeseMoa.が在ってほしいな、と強く感じた幕張公演だった。

 

 

 武道館、一緒に行きたいな。

 

 

 

永遠に変わらぬ愛を信じたい

 

今年に言えることは今年中に言っちゃおうねー!

ってことで年一更新ポエミィブログです。

いつも通り人に読ませるものではないです。

 

 

 

 

 

2020年、当たり前に続くと思っていた日常がこうもあっけなく崩壊するのかと思うほどに世界が激変して、物凄く色んなことを思考した一年だったな、と思う。

 

現実と向き合う時間が増え、次々と環境を移り替えていく周りの友人たちの背中を見ていて、自身も身の振り方を考えなかった訳がなかった。

麻薬のように非日常を渇望して非日常を摂り続けて、晴れそうな靄を振り払わないように楽しいに潜っていたけれど、その対象が奪われてしまっては、持て余した時間の中で色んなことに対して真正面から向き合わなくてはならなくなった。

元々降り積もっていったネガティブな感情の上にそういった環境が重なって、「今が一番のタイミングだ」と思ったのは正直な話で。

何度も何度も、今まで上ってきた階段の淵から階下を見下ろした一年だった。

 

 

それでも今もこうして階段を飛び降りられずに上り続けているのはどうしてなのか?

 

とどのつまりは、「執着」なのだろうと思う。

 

色々考えて、考えた末に辿り着いたのが、「推しのことを大切だと思う」というシンプルすぎる結論だった。

 

 

推しに幸せであってほしいと願うのはありきたりだけど奥深くて、今までも口に出したことはあったけど、コロナのあれやこれやを経て、より深くそう思うようになった。

 

念願の初センター曲である烏合之衆を本来の形で披露できずにいた春、せっかくの推しの晴れ舞台を思う存分味わわせてあげられなくて悔しくて悔しくて、本当だったらリリイベの初日だったはずの日の生放送で全くそう思ってない顔で「しょうがない」って言わせてしまったことがかなしくて、誰よりも直向きに努力を重ねてきたひとがどうしてこんな仕打ちを受けなくちゃいけないんだろうって憤りもして。こんな時でも弱音を吐いてくれない”わたしたち”の無力さを感じて寂しく思ったりもした。

誰かのために自分の喜怒哀楽をこんなに掌握されることも今までに無くて、そのことに疲れて投げ出したくもなった。

でも。それでもいつか、っていう希望も、悪化していく情勢を前にしては立て続けに壊されていって。正直腐ってしまっても仕方ないとさえ思えた状況の中でも、誰よりも真摯に誠実に活動を拡げて笑顔を見せ続けてくれる姿を見て、このひとの頑張りを裏切れないな、と思った。

 

推しはいつだって努力することをやめないでいてくれた。

情勢はいっこうに良くならない、決まっていたはずの現場、自分のセンター曲を全国に居るより多く人に届けられるはずだった全国ツアーも、ひとつ、またひとつと中止になっていくそんな中でも、彼は「今の自分にできることを」と言って、時には周りを巻き込みながら沢山の「楽しい」をつくって、届けてくれた。

先の見えない不安、無くなっていく現場は未来の約束さえ失くしてしまうようで、オタクとして生きるのがすごくしんどかった時期だった。こちら側でさえそう思うのだから、当事者である彼らは、ましてや今まで自分たちを好きでいてくれた人たちが離れていくのを感じてしまっては、そのしんどさはとても比べられるものではなかったのではないかと思う。

それでも彼はいつだって笑顔でいたし、彼のつくるステージは毎回新しくて面白くて飽きなくて、強くて頼もしい立派な「アイドル」そのものだった。

 

不安定な情勢の中で現実にも色んな障壁があって、自分では感情をコントロールするのが得意だと思っていたけれど常にぐらぐらと定まらなくて。

それでも彼のパフォーマンスを見るたびに、落ちそうになる身体を支えるように手を差し伸べられているような感じがした。公演を重ねるたびに確かにアップデートされていく彼のパフォーマンスをこれからも見たいという気持ちで、このまま手放したくないなと強く思った。

 

 

「推し」という存在って、すごく不思議なものだと思う。

 

家族でも友人でも恋人でもないけど、確かに大好きで大切だって言えるひと。

他のどれとも形容できないし同じように括れない、「推し」という存在。

好きは好きだけどその言葉だけでは何となくしっくりこない、そんな時に辿り着いたのが「大切」だっていう表現だった。

 

誰かに共感して喜怒哀楽を揺さぶられることも、誰かの未来に期待をしてその支えになりたいと思うことも、その誰かを大切に思っているからこそなのだなと気づいたときに、どうしようもなくいとおしくなった。人は長年誰かのオタクを続けていると最終的に慈愛に着地するらしい。

 

それに気づいた矢先に、推しの口からも「こういう幸せな関係性が大切だ」って語られて、一方通行じゃなく同じ気持ちでいてくれているのだなと思えた。気がした。

 

 

その話にも通ずるが、今年は特に、「推し」が「緑推し」に対して愛を伝えてくれた一年だったと思う。

 

年始のセンター曲発表に始まり、「一緒に攻めよう、緑推し」なんて珍しい言葉をかけてくれたと思えば、やけに涙もろくなったり、会いたいだとか好きだとからしくない言葉を口に出してくれるようになって、昔から彼を見続けていたからこそその変化に驚いたりもした。

 

昔はどちらかと言わなくても自分のオタク”こそ”遠ざけるような溝を意識的に作っていたような気がするし、他の誰かに唆されない限りは「緑推し」と言ってくれたこともなかった。

彼にとっての緑推しは「ただ自分のことが好きな変なヤツ」の集まりだっただろうし、それ以上でもそれ以下でもなかったと思う。

だからこそ、オタクの存在は無力だと思っていたし、彼の中に存在しないものと思っていた。

 

変わったな、と思ったのは数年前からで、きっとその予感も間違ってなかったのだと思う。やはり数の力は偉大で、沢山の人が彼を愛したからこその変化なのだと思う。

愛されることに慣れて物足りなくなるほどには、彼の中に「自分のことが一番好きな人たち」の存在が根付いたことは素直に嬉しいし、願うなら自分もその中の一人でありたい。その中の一人として認められる自信はいつだって無いけれど。

 

彼が選んだ曲に彼の本音が隠されているとしたら、それってすごく相思相愛だなって思えるし、そうであってほしいなと思う。

 

 

肉眼で烏合之衆を見るまでは勝手に死ねないなと思っていたけれど、実際に烏合之衆を見て、あんなに楽しそうに幸せそうに踊る推しを見たら余計に死ねなくなってしまった。

やっぱり彼は見られて輝くひとだと思ったし、その輝きの天井もまだまだ先にあるなと痛感した。まだまだこれから先も見ていたいと素直に思った。

 

終演後の放送で紡がれた言葉の端々にまで伝わる幸福感に酔わされて、ずっとそのまま幸せでいてほしいと思うと同時に、「緑推し」という存在が彼の幸せを構築するひとつなのだとしたら、私が今でも「緑推し」であり続ける意味も少なからずあるのかもしれない、と思えた。

 

結局私はオタクを続けることの理由を探していて、どうしようもない執着の言い訳を求めていたんだと思う。

 

「好き」だけでは立っていられなくなっても尚、この執着を切り離せなくて、誰かに肯定してもらって認められたかったのだろう。

 

『そんなもの応援したって何にもならないでしょう』

そんな声に、抗いたかったのだろう。

 

 

ぐるぐるぐると思考に思考を重ねて、ネガもポジも吐き出して、結局変わらなかったのは、推しのことが大切でこの先も見ていたいなと思う気持ちだった。

 

きっとこの先も何かにつけてぐらぐらと揺れて不安定になるのだろうけど、それでも、推しがアイドルで居てくれるうちは、そういった私の根底にある気持ちは変わることは無いのだろうな、と思う。

 

家族に対してでも、友人に対してでも、恋人に対してでも感じることのないそれらとは違った「愛」がそこには確かに在って、その「特別な大切」は誰にでも当てはまるものではないのだなぁ、と一年を通してようやく理解した。

 

 

そう思えるうちは、無理に手を放す必要もないのかも、なんて思えた師走の夜でした。

 

 

アイドルに成った君へ

 

2015年8月16日。

四年前の今日、初めての中野サンプラザ単独公演。

君にとっての特別な日は、私にとっても特別な日になりました。

 

もう君を応援する事ができなくなるんじゃないか、もうこの楽しい時間が終わってしまうんじゃないか、公演に対する楽しみの気持ちよりも遥かに大きく、そういった不安を抱えたまま迎えた四年前の事は忘れられません。

 

アイドルで居続ける選択をしてくれた君がその選択を後悔していないかずっとずっと不安だったし、君のその選択を正解にすべく、君を応援し続ける事で肯定しようとしていた四年間でした。

君が今の自分を肯定してくれる度に、君が活動に積極的な姿勢を見せてくれる度に、勝手に安堵している自分が居ました。ふと立ち止まった時に再び歩き出そうと思い直した理由の一つに、あの頃を知るオタクが離れるのは君の覚悟を裏切る事になるのではないかと思った事がありました。君を好きで応援したいと思う存在が居る、という事実が、せめてもの君の救いになれば良いと思っていました。

 

それでも、あの頃勝手に感じていた罪悪感を拭ってくれるかのように、気付けば君は立派なアイドルに成っていました。

 

 

初めての中野公演を終えて、より一層本格的に加速していく活動に食らいつくかのように、君はずっとずっと努力を重ねて活動に反映してくれていました。

 

兼業から専業へとシフトしていく最中にあった冬ツアーでは、次の目標に「苦手な歌を頑張る」と掲げてくれました。

その言葉の通り、翌春から始まった47ツアーのソロ回しでは、メロディーをアレンジして歌ってみたりフェイクを入れてみたりと毎回プラスワンの表現に挑戦してくれました。

ホールツアーでは、自身の運動神経を生かしてアクロバットに挑戦してくれました。

BBFでは、初めてなのに主演として誰よりもメインでお芝居をする上に、初めてなのに座長として誰よりも中心で皆んなをまとめる役割を全うしてくれました。

色んな人と沢山沢山、様々な曲を練習して踊ってみたのコラボ動画を上げてくれました。

Twitter動画という媒体では、踊ってみたでは括れない、より幅広い表現を見せてくれました。

そういった普段の努力も認められて、DDPではダンス部の選抜に選んでもらえて、また一つ格好良い姿を見せてくれました。

CFTMでは、普段のイメージとは真逆のキャラクターを演じ、これまた君の身体能力の高さを生かした殺陣を披露してくれました。

現場が空いてしまう期間でも、オタクを飽きさせないように定期的に生放送を行なって色んな話を聞かせてくれました。

MazeNo.9では、長期間同じ役を演じることで、演技がブラッシュアップされていく過程を見せてくれました。

Re:Triggerでは、役に入り込むという段階まで深く演技に対して向き合ってくれ、君の演技のこれから先を楽しみにさせてくれました。

そして、Ch8では、より一層表現力にこだわるようになり、"魅せるパフォーマンス"というのを自然に出来るようになってくれました。

 

全部全部、君の並々ならない努力があってこその成果です。私はその成果を見届ける度に、君を推していて良かったと心から思うのでした。期待に成果で返してくれる君が自慢の推しでした。

 

初めて君を見た人のように新鮮な感動を伝えられる事も、久しぶりに君を見た人のように格別な驚きを伝えられる事も出来ないけれど、君の努力の一つ一つを見守ってきたからこそ、誰よりも君の成長を実感しています。

 

パシフィコ横浜という大舞台で歌って踊る君は、紛れもなくアイドルでした。

「自分が出来る事をやるだけ」と言っていた君が、「皆んなに笑顔になってもらいたい」からステージでパフォーマンスをするようになりました。

 

アイドルをしてくれていた「普通の男の子」だった君が、いつの間にか立派な「アイドル」に成っていました。

 

 

 

 

 

アイドルに成った君へ

 

 

今、幸せだと思ってくれていますか?

君がアイドルをしてくれているから、私は今日までずっと幸せでした。

 

あの時語ってくれた君の夢が叶うまで、まだ君と一緒に歩いても良いですか?

君が当たり前のように未来の話をしてくれるのが嬉しくて仕方がないんです。

 

君の中で、緑推しってどんな存在ですか?

君が歌う曲、君が踊る曲の歌詞を切り取って、重ね合わせて、君が伝えたい言葉だと受け取っても良いのでしょうか?

君にとっての糧になれていると思っても良いのでしょうか?

 

不器用で言葉足らずな君にいつも不安にさせられるけど、それでも懲りずに会いに来てしまうのは、心底君に惚れ込んでいるからだと思います。

天井知らずの君の成長を、これから先も見ていたいと思ってしまうのです。

君が一段一段上っていく階段を一緒に上っていって、君と同じ景色を見ていきたいと思うのです。

 

君に叶えてあげたい夢があります。君に叶えてもらいたい夢もあります。

だから私は明日も君を応援します。君のために、自分のために。

 

これからも応援させてください、とはもう言いません。

夢を叶えると堂々と宣言してくれた君を、これからも応援します。

 

アイドルを選んでくれてありがとう。

これからもよろしくね。

 

 

 

 

“お願い いつまでもいつまでも超えられない夜を

超えようと手をつなぐこの日々が続きますように”