この一瞬を楽しもうよ

いま感じたことをおぼえておきたい

きらきらひかる

 

推しの誕生日や、中野の日という一つのターニングポイントと言える記念日がある8月は、毎年どこか特別だった。

推しと過ごす最後の8月が終わり、その時感じたことを言葉にしようと考えているうちにいつの間にか夏が終わってしまった。

 

最近でこそようやく思っていることを言葉にして伝えてくれるようになったけれど、昔の推しは今よりもずっとずっと言葉足らずで、伝え方ももっと曖昧で、何を考えているのか・どう感じているのかを中々見せてくれなかった。

そんな推しが一年で最も胸の内を明かしてくれるのが聖誕祭の日で。その場で語られた想いを受け取って、自分なりに咀嚼して、その上で感じたことを本人に伝えて。そういったことを毎年積み重ねていって今があるし、その軌跡がこのブログだったりする。

初めのうちは《そんなことを思っていたなんて》と新鮮に驚いていたことが多かったのに、気がつけばいつの間にか《やっぱりこういうことだよね》と答え合わせをするような感覚になっていっていた。それだけ普段から考えていることを話してくれるようになったんだなと思う。

昔の自分のブログだったりツイートだったりを見返していると、推しはどう思っているんだろうかとか、こういうことを伝えてしまったら推しにどう思われるんだろうかとか、ずっと不安がっているなというのがとにかく目についた。特に、兼業から専業へと舵を切ってからしばらくは、そもそもこの選択をしたことを後悔させていないか、今を幸せだと思ってくれているか、といったことがずっと気がかりになっていた。過去の記事にも取り上げているが、推しが「今が幸せだ」と言い切ってくれるまでは、ずっとどこかで罪悪感を抱えながら推していた。

それが今では、推しが考えていることも、考えていそうだなということも、言葉として伝えたいことは勿論、言葉以外のかたちで伝えたいとしていることも、きっと、ある程度は理解できるようになったからこそ、推しが話す言葉を素直に受け取ることができるし、私自身も「今が幸せだ」と自信を持って言えるのかもしれないな、と思う。

 

最後の聖誕祭は、それこそ私が今まで推しを見て受け取ってきたことが間違ってなかったんだ、と再確認ができる時間だった。推し自身も「今まで話したこととどうしても似てきてしまう」といったようなニュアンスで話していたが、今まで打ち明けていなかったことを初めて伝える場ではなく、今まで推しが活動の中で伝えようとしていたことを、《言葉》として分かりやすく伝え直してくれた場だったなと感じる。

一つ意外だったのは、未来に対する前向きさと、現在を過去にする寂しさのバランスが五分五分だったことだった。決断したら迷い無く、という人だと思っていたので、案外こちら側が思っているよりも別れを惜しく思ってくれているんだなぁとあたたかい気持ちになった。【アイネクライネ~Over you】のパートでは別れを受け容れているように見せておきながら、その直後の【あの夢をなぞって~花~Flower Wind】のパートではこれから先も一緒に居たいと訴えかけてくる。そのちぐはぐさこそが、推しの言う「どちらも本音の表裏一体」ということなんだろうと納得させられたセトリだった。

推しが「アイドルでありたい」と思ってくれるようになってから定期的に歌ってくれる【ニバンセンジ】や、初めてのソロ曲である【Neptune】、言うまでもなくセンター曲である【烏合之衆】などのお馴染みの曲たちは勿論、推しのパフォーマンスに対する意識が一段階成長したなという時期に披露された快作【アイネクライネ】や、武道館公演決定や卒業発表などが重なった時期に推しが一際特別に扱っていた【あの夢をなぞって】、annualで演った曲の中でも特に歌詞の印象が強かった【花】など、昔からごく最近までの「フォーゲル」の色んな節目を象徴するような曲が詰め込まれたセトリは、まさに集大成と言えるものだったんじゃないかと思う。

披露してくれた演目も、話してくれた内容も、どちらの面からも今までの歴史を感じられて、あぁこうやって共に歩んできたんだな、という気持ちになった。

後日上がった推しのブログの文中でも「激重感情」という風に表現してくれていたけど、隅から隅まで推しからの愛情を感じられるあたたかな一日だったなと思う。最後の聖誕祭を、寂しさとかそういう暗い気持ちで終えずに、身体いっぱいに愛情と幸福感を受け止めて終われたことが、本当に本当に幸せだと思う。

 

 

ここ一年間、とりわけここ数ヵ月間は特に、推しがいかに多くの人から愛されているのかということを思い知る期間となった。

卒業発表前から特典券の売れ行きという面では所謂「人気メン」だったけれども、卒業発表を通じて、他推しのオタクからも「最後にどうしても直接感謝を伝えたい」と言ってもらう機会が多くて、いかに推しの人柄が優れているかを痛感する。

推しも恐らくそういった声をきちんとした形で受け取りたくてMFというイレギュラーな場を設けてくれたりしたんだろう。そこまでしてもらっても、最後の時が近づいてくるにつれて推しと話せる機会はどんどんどんどん貴重なものになっていっていて。私自身も推しと少しでも多く話せる機会が欲しいと思っていながらも、推しが限られた一部からだけではなく一人でも多くの人から直接愛を受け取ってほしいと思う気持ちも本物で、イープラスから届く「落選」の文字に対して毎回どうにか折り合いをつけながら過ごしている。

その1枚がすごく貴重だからこそ、緑推しとか他推しとか、応援している期間が長いとか短いとか、推しに対しての気持ちが重いとか軽いとかそういうのが全く関係なく、皆が等しく同じ"1枠"でしかないんだなと思って辛くなることも少なくない。

ただ、それでもやっぱり、推しがそれだけ沢山の人に愛されているということはとても誇らしく思える。

それに、緑推しとか他推しとか、そういう安易なラベリングをせずに、皆んなに対して等しく優しくできる推しだから私は推しのことをずっと好きで居るんだと思うし、推しがそういう人柄だからこそ、私みたいなオタクにも優しくしてくれているんだろうということも自覚している。

推しが卒業するまであと100日を切って、これからますます推しと話せる機会は貴重なものになってしまうのだろうけど、今まで積み重ねてきたものは変わらないと思っているし、推しが「緑推し」に対して特別な愛情を向けてくれていることも伝わっているから、皆んなが大好きな「フォーゲル」をずっと推し続けてこられたことを誇りに、残りの時間を大切に過ごしていきたいなと思う。

 

 

そんなことを考えていたところで、念願だったソロ曲についての発表があった。

流石にソロ曲を出さないまま卒業するなんてことはしないだろうと思っていたので、北海道公演でお知らせがあります、と聞いた時に、新曲及びソロ曲の発表だろうなと半ば確信を持ってモニターを見つめていた。

驚いたのはその後。作詞作曲者の名前。

推しが昔から好きだと言っていたバンドの方の名前を見て、素直に「良かったね」という言葉が漏れた。

 

過去の記事の中でも、推しに対するあれこれを《不遇だな》と表したことがある。あまりこういう言葉を口にするべきではないことは自覚しているが、推しの努力の分量に対して、あまりにも報われていなさすぎる、と思ってしまっていたのだ。推しの人柄の良さに甘えて蔑ろにし過ぎてはいないかと思ったことも、正直少なくない。

だからこそ、こうやって、推し自身が「アイドルとして頑張ってきて良かったな」と思ってもらえるような機会を与えてもらえたことが凄く嬉しかった。会社員のままの人生では得られないような経験を、アイドルとして生きたことによって手に入れられたという事実があることに、とても大きな価値があると感じた。

 

ずっと、心のどこかで不安を感じていたんだな、と気付いた。推しは、アイドルになりたくてアイドルをしている人ではなかったから。

活動を続けていくうちに、一緒に過ごしてきたメンバーに影響されてだったり、オタクからの期待に応える気持ちからだったり、どちらかと言えば後天的にアイドルに成った人だと思っているので、「アイドル活動の中で得た幸せ」が本当に本人にとって幸せなものなのか?というところに自信が無かった。勿論今まで伝えてくれたポジティブな感情に嘘は無いと思っているけれど。

そんな中でも、今回の件は言ってしまえば「"フォーゲル"の中の人」にとって間違いなく喜ばしい出来事だと自信を持って判断できるから、今まで頑張ってきて良かったね、報われたね、という気持ちでいっぱいになった。

どういう経緯でこのオファーに行き着いたかについては推測が及ばないけれど、推しが直向きに努力を重ねてグループを支えてくれていたことに対するご褒美のようなもの、と言うと聞こえが悪いかもしれないが、皆んなが皆んな彼に対して《報われてほしい》と思う気持ちがあったから実現したものなんじゃないだろうかとぼんやり思った。

大好きなバンドの方に楽曲提供してもらう、なんてオタクからは絶対に提供できない幸せを推しに与えてくれて、本当に有り難いなと思う。

 

それと、これは私の個人的な意見ではあるが、推しがソロ曲を貰うタイミングが今で良かったな、と思っている。(あと一年ぐらい早くても良かったのではと思っている気持ちもあるけれど)

ソロの順番が中々回ってこなくてやきもきし続けていたけれど、武道館公演を達成したりとここまでグループを大きくした実績があるからこそ今回のオファーを受けてもらえたというのもあるかもしれないし、何より、一生に二度三度とないソロ曲が、推しが技術的にも精神的にも成熟してきちんと「自分の曲」に対して向き合ってくれるようになるタイミングを待って用意されたことが嬉しいなと素直に思う。

センター曲である【烏合之衆】を通じて、推しの中の考え方とか想いの表現の仕方とかそういうものが変わったなと感じた。今までよりも丁寧に、責任感をもって楽曲に対して向き合ってくれるようになった今の推しが創るソロ曲が聴けるということが、とても幸せだ。

今まで散々、歌詞の中に自分の想いを忍ばせて遠回しに愛情を伝えてきたような人が創る曲がどんなものになっているのか、楽しみで仕方がない。

自ら別れを選択しておいて【forget me not】ーー《私を忘れないで》なんて、やっぱり表裏一体じゃないか、と思ってしまった。

 

推しにとっても、オタクにとっても、宝物のような曲になれば良いな、なんて思っている。

 

 

12月8日、卒業の日までの恐らく全てのイベントの日程も同時に発表されて、いよいよだな、と覚悟を決め直した。

あと何日、あと何度。これが最後かも、このままだともう。そういったことを考えてしまうことがどうしても増えてしまうようになった。

大切に過ごさないと、と思っていても、どうしてもいつも通りになってしまうことに後から少し悔やんでしまうこともあるけれど、それでも、今まで通りが一番自分らしいなと認めて、その時々の自分の気持ちに素直に行動しようと決めている。気が向かなきゃやらないし、欲が出たら少し無理をする。そういう風に今までやってきて、後悔無く過ごせているのだし。

 

来月で、初現場の日から丸10年を迎えようとしている。何度でも言うが、当時の自分はまさかこんなに長い間推し続けることになるなんて全く考えもしていなかった。

10年間なんて決して短くない期間を、幸せな10年間だった、と言い切れるのは、紛れもなく推しのおかげだなぁと日々痛感している。

私のオタクとしての10年間を《正解》に出来るのは、推ししか居ないから。

少なからず、何かしらでも推しに影響を与えられて、推しの中の何者かになれていたら。それが、私が緑推しとして生きた意味になる。

「緑推し」という存在が、推しにとっての必要なもの・愛を向けてくれるものに成れて良かったと心から思う。聖誕祭をはじめとして、推しから愛情を受け取れる機会が沢山あることが本当に本当に幸せだと感じる。

そして、この幸せな気持ちのまま死ねることも。

 

このまま晴れやかな気持ちで12月8日を迎えるのか、それとも一転して未練がましくどんより曇ってしまうのか。

分からないけれど、きらきらひかる推しの姿を見逃さないように、残りの時間を健やかに過ごしたい。